「高校時代から離れて、ぐるっと円環を描いて、また戻る」
日本全国がステイホームを余儀なくされているなかで、有り余った時間を読書に使おうという人たちが大勢いるからだと思いますが、フェイスブックで毎日一冊ずつ計7冊の本を紹介して、誰かにバトンタッチする試みが流行っています。
私はテーマを、「高校時代に愛読した本」を再読して、自分にとっての「高校時代の意味」を振り返るというふうに設定して、七夜の語りを考えました。(連続ではなく、ときどきの企画です。)
それでは、第一夜。
ホルヘ・ルイス・ボルヘス、土岐恒二訳『不死の人』(白水社、1980年)という本を取り上げます。
たぶん高校1年生のとき、白水社の世界文学の本を持っているだけで、文学青年になれるような気がするという軽薄な理由で、読み始めたのだと思います。しかし、アルゼンチンの伝奇小説作家の代表作を背伸びして読んだことで、自分の世界観にかなり影響を受けました。17の短編が収録されていますが、冒頭の「不死の人」の衝撃が圧倒的でした。
その1。
主人公ヨセフ・カルタフィルスなる男が、不老不死になれる河があるという噂を聞いて、世界中を旅し、とうとう「不死の人」(物語ではトログロデュタエ人という)の世界に到達します。
しかし彼ら「不死の人」たちは、めまいを覚えるような混乱した設計の宮殿をつくり、洞穴に住み、無気力に生きていました。何千年も生きて何でもできる「不死の人」であることは、つまり神・英雄・哲学者・悪魔など何にだってなれるということは、「わたしは存在しない」ことに等しいのだと主人公は悟るのでした。
…有限の「いのち」を生きるからこそ、生きることに意味がある。このパラドックスに私が初めて気が付いたのは、この小説のおかげです。
その2。
ボルヘスはいつものようにこの小説を入れ子箱のように作ります。カルタフィルスの原稿が見つかった、その原稿は以下のとおりだとして物語を始めます。物語のラストでは、カルタフィルスも「不死の人」になっています。そして物語のなかで、主人公はトログロデュタエ人となっているホメロス(古代ギリシアの代表的叙事詩『イーリアス』の作者)と出会うのですが、読み進めるにしたがって、カルタフィルス自身のほうがホメロスだったのではないかと、わからなくなってくる仕掛けになっています。しかも最後に、カルタフィルスのこの記録が偽書なのか本物なのかを何人かの著名人が論じているという注釈で、物語がしめくくられます。
この世界の出来事は、何が本当に起こったことで、何が虚偽なのかがわからないということを、ボルヘスはおそろしいくらい巧みに描き出します。
この物語の迷宮は、とても魅力的なのですが、そのまま入っていったら、自分は迷宮から抜け出せなくなり破滅すると思いました。それで大学では、「何が本当に起こったことなのか」を考える歴史学の道に進みました。
でも今は、歴史を学ぶ高校生に、「何が本当に起こったことか」を考えることは、とてもとても難しいことだと、高校生を迷宮に誘っています。(たとえば、現在、私たちが直面しているコロナの現実をみても、コロナとはどのようなウイルスなのか、なぜ大流行しているのかなど、説明するにはわからないことだらけです。)
やっぱり高校1年生の時に『不死の人』を読んだ時から、ぐるっと円環を描いて、また『不死の人』の世界に戻ってきているのかもしれません。
付記
アルゼンチンの歴史を学ぶようになって、ボルヘスと独裁者ピノチェットとの関係などを知り、私はボルヘスの“遊戯的な知のあり方”に批判的になりました。「何が本当に起こったことか」に到達できないまでも、少しでも近づきたいと私が考えている点は、ボルヘスとは違うスタンスです。
そうはいっても「不死の人」は今でも名作だと思います。