「中学時代の恩師に弔辞をささげる」
少し時計の針を戻して、11日(金)の出来事について書きます。
ワクチン接種をした後に、私は故郷の茅野市に移動して、中学時代の恩師(担任)の告別式で弔辞を読みました。
1980年代のはじめ、全国的に校内暴力が頻発していた時代のこと、今から思えば、たくさんの問題が起こっていたのでしょうが、私たちのクラスは担任の先生のもとで楽しい中学校生活をおくりました。半年任期・延長なしでクラス役員を改選しましたが、なぜか私はルーム長を3回つとめました(ブーメラン・ルーム長)。
中学校とか高校というのは、スクランブル交差点の交点のようなもので、卒業後にクラスメートは散り散りになっていきます。
2年前、卒業してから約40年が経っていましたが、担任が体調を崩しているのでお見舞いをして、同級会もやってみようということになりました。半世紀近い歳月を越えて再会した私たちの交流が始まります。
しかし、次第にコロナの感染状況が悪化して、みんなで先生のところへ行くことができなくなり、正副ルーム長が代表してお見舞いに行くようになりました。この一年間は先生の視力が次第に弱って来たので、バイオリン教室を開いている友人を連れていき、ベッドの横でミニ演奏会を行ってきました。演奏が終わると、先生は「ブラボー」と言って、拍手をしてくれるのでした。
正副ルーム長で読み上げた弔辞では、「私たちのT先生」が再び教え子たちの「いのち」を結び合わせてくれたことへの感謝を伝え、「これからもホームルームを続けていきますからね」と報告しました。そして先生の好きだった「見上げてごらん夜の空を」を友人がバイオリン演奏しました。
「ささやかな幸せ」の大切さを教えてくれた恩師のことを、私はこれからもずっと尊敬していきます。