「ひとつの歌が世界をむすぶ」

 2020年最後の登校日の校長講話を、教室ごとに私のパワーポイントの画面を見ながら行いました。

 今日のテーマは、「ひとつの歌が世界をむすぶ」です。
 「自分が追いつめられたとき、本当につらいときに、自分をなぐさめる何かをもっていますか?」という問いかけを考えてみました。「何か」のひとつの答えは、アートです。

 第二次世界大戦のさなか、敵と味方が同じ歌を愛し、その歌がラジオから流れる数分間だけ、戦闘が中断されるという事態が起こりました。ララ・アンデルセンが歌った「リリー・マルレーン」です。

  リリー・マルレーン
    (私が声楽家の狭間壮さんのために翻訳したもの)
兵舎のいかつい門の前、あの街灯がまだあれば、
もう一度会いたい。灯りの下で。
もう一度、リリー・マルレーン。もう一度、リリー・マルレーン。

二つの影は、とけあい、僕らの愛がすぐわかる。
みんなに見せよう、灯りの下で。
もう一度、リリー・マルレーン。もう一度、リリー・マルレーン。 (以下略)


 これは行進曲のイメージで作曲されたものでした。リリー・マルレーンにもう一度会うためにも、頑張って戦おうではないか…という意味をこめたものと思われます。アップテンポで歌うことが求められたのでした。
 ところが歌手ララ・アンデルセンにとっては、頑張って戦おうなどという思いはありません。むしろ戦争によって愛する人にもう会えないかもしれないという絶望感が、彼女の「リリー・マルレーン」のイメージです。そこでララは、この歌をゆっくり、やさしく歌いました。すると、この歌詞の「自分は戦争に行きたくないのだ」という意味が、聞く者の心に浮かびあがってきたのです。

 放送局に膨大なリクエストがかかってきて、来る日も来る日も、この歌がラジオから流れ、その時間帯はドイツ軍が動かないので、イギリス軍もフランス軍もこの歌を聞くようになりました。

 しかし、この歌の本質を理解していたゲッベルスはララを逮捕し、すべてのレコードと原盤を破壊しました。それでもイギリスのBBC放送が「ララ処刑説」を流してドイツ兵が憤慨したことで、ゲッベルスはララをやむをえず生かしておきます。ゲッベルスがララに下した最大の迫害は、「前線の兵士の慰問コンサートを続けるが、『リリー・マルレーン』だけは絶対に歌うな」という命令でした。
 アムステルダムのコンサートのとき、いつものように終盤で兵士たちの「リリー・マルレーン!」というリクエストの嵐がおこったとき、咄嗟にララは、こう兵士たちに語りかけました。「私はこれまでさんざん歌ってきたので、今度はみなさんが私に『リリー・マルレーン』を歌ってくださいませんか?」
 こうして「リリー・マルレーン」は兵士たちの大合唱となって、復活したのでした。

 このコロナ禍の一年間、蘇南高校の生徒たち、先生たちは、必死に「ブリコラージュ」(もてる知識・経験で目の前の課題をのりこえること)を積み重ねてきました。
 「リリー・マルレーン」もまた、ララの「ゆっくり歌うブリコラージュ」・「兵士たちに歌ってもらうブリコラージュ」によって、人々の心を支えたのでした。
 「心を支えてくれる何かをもって、ブリコラージュを続けていこう」と私は今日の話をしめくくりました。

 これで今年の校長ブログは一区切りです。四月から多くの皆様にお読みいただき、本当にありがとうございました。
 皆様、どうかよいお年をお迎えください。

(付記 講話の原稿は、ホームページに掲載しておきますので、よろしければご覧ください。)
「ひとつの歌が世界をむすぶ」