「富山県の先生方のために講演をする」

Posted by 蘇南高等学校長. 2021年09月30日20:47
 昨日は、富山県高等学校教育研究会歴史部会で講演をさせていただきました。一年以上前から予約をいただいていて、富山市に伺うことを楽しみにしていたのですが、コロナ禍の情勢を鑑みてZoomを使用したオンライン講演となりました。

 タイトルは「史学史から見た「歴史総合」」。これからの歴史教育にとって必要なことは何かについての考察を行いました。学習指導要領に書いてあるから、このようにするのだというところに判断基準を置くだけにせず、歴史学や歴史教育の歩みを振り返ってみた時にどのような課題があって、それを乗り越えるために何をすべきなのかということを考えていきたいと思っています。

 多くの先生から質問をいただき、また、新しくフェイスブックにもつながっていただき、嬉しい思いをしました。
 全国に対話をする仲間が増えていくのが一番の収穫なのです。
  


「2年間精魂込めて作った書籍が届く」

Posted by 蘇南高等学校長. 2021年09月29日18:12
 今日、岩波書店から『岩波講座世界歴史 01 世界史とは何か』(小川幸司責任編集、10月5日発売、3200円+税)が届きました。

 この2年間、学校で仕事をしているとき以外は、ほぼすべての時間とエネルギーを費やして作ってきた書物が、ついに刊行されることになりました。本当に寝ても覚めても(夢の中でも)執筆をしてきました。企画段階から数えれば、5年くらいかかった仕事です。

 326ページのうち、私の総説にあたる論文(「〈私たち〉の世界史へ」)が79ページで、4分の1を占めます。3・11の福島第一原子力発電所の放射能を浴びながら救助活動を行った消防士たちが「世界史」をどのように考えたかということから説き起こし、研究者を含めた一般市民にとっての「世界史」とはどのような営みなのかを考えます。そして長い人類の歩みの中で「世界史」がどのように構想され、今の私たちの眼前にどのような課題が見えてきているのかを考察しています。

 私がお願いした研究者・高校教員・博物館関係者15名が、すばらしい論文・コラムを書いてくださりました。すべての論考に共通しているのは、これまで自明だと思ってきた枠組みが、いかに歴史の中で構築され、変化してきたかについての分析です。――時間のとらえかた、空間のとらえかた、ジェンダー、支配する者と支配される者の言説、環境と人間の関係、感染症と人間の関係、歴史認識対立と和解への道などなど。根本に至るように見つめ直すことを心がけました。単なる論文集ではない、書物としてのまとまりを大切にすることを目指しています。

 私にとっても、他の執筆者にとっても、この本を作ることは、険しい地形に一本の道を通そうとする営みに似て、とても苦しいことでした。すぐれた編集者に支えてもらいながら、そして執筆者の皆さんの多大な努力の賜物として、何とか書物にすることができました。ただただ感謝の思いでいっぱいです。
 どうかこの本が読者の皆さんと出会い、新たな対話が生まれていくことを、心から祈っています。
  


「人種という言葉を当たり前のように使っていないか」

Posted by 蘇南高等学校長. 2021年09月28日20:38
 私は折にふれて生徒たちに、「人種」というヒトの分類方法はとても恣意的なものであり、それは誰かを「劣った存在」と差別するまなざしとセットになってきた、と語りかけています。

 たとえば、世界史の教科書の「人類の誕生」の最後のくだりで、「肌の色を中心とした分類が人種」「文化・宗教を中心とした分類が民族」などといった解説が、昔はなされていましたが、今はなくなってきています。(でもおそらく全国の多くの世界史の授業では、残念ながら繰り返されているのではないかと推察します。)

 昨晩、読み終えたのが、坂野徹・竹沢泰子編『人種神話を解体する②科学と社会の知』(東京大学出版会、2016年)です。この論文集は、ゲノム解析が飛躍的に進む現代に、「人種」という差別的な発想が復活する可能性があると警鐘を鳴らしています。なぜかというと、ゲノム解析によって、ある個体集団と別の個体集団の「差異」が浮かび上がってくるとき、それが全体構造の中ではわずかな差異にすぎないものなのに、ことさらに差異を強調して「人種」を浮かび上がらせるような言説が登場してきているからです。(たとえば、日本人と朝鮮人と中国人を比較するとか。)

 現代の遺伝人類学・分子人類学の知見では、集団と集団の遺伝的な多様性よりも、ひとつの集団の中での遺伝的な多様性のほうが大きいということが明らかになっています。
 世界史の授業が、ひたすら人間集団を「分類する」ことを学ぶ以前に、こうした科学的知見に立脚することが必要だと私は考えています。
  


「生徒がムヒカ大統領とインタビュアーを演じる」

Posted by 蘇南高等学校長. 2021年09月27日15:56
 本校は、今日から定期考査なので、静かな放課後を過ごしています。
 先週の2年生の「コミュニケーション英語Ⅱ」の授業で、生徒が二人一組になって、教材の中に登場するムヒカ・ウルグアイ大統領とインタビュアーになりきって英語での対話をするパフォーマンスが発表されました。
 ムヒカ大統領と言えば、報酬の大部分を貧しい人々に寄付し続けて「世界で最も貧しい大統領」を貫いたことで知られます。「考えるように生きよ、そうでなければ生きるように考えてしまう」といった名言の数々も有名です。
 今回のムヒカ大統領を演じる生徒たちは、実にいきいきとジェスチャーや表情を作り、インタビュアーとの掛け合いの呼吸を揃えて、英語での対話を楽しんでいました。発表者の英語に聞き手の生徒たちも大いにもりあがり、笑い、歓声をあげながら授業に参加していました。

 「この授業、楽しいですよ!」と生徒たちは教科担任の宮入先生に伝えます。また、生徒たちは仲間の発表のひとつひとつに、ICTを使って評価を書きこんでいきました。
 すべての班が終わった後で、私からも感想を生徒たちに伝えました。「皆さんの演技はとてもいきいきとしていて、ムヒカ大統領の魅力を十二分に伝えてくれるものでした」と。
 
 いつか生徒たちにゆっくり話をしようと思っているのですが、私はNGOを通じてボリビアの少年の里親になっています。幼少の時から年に数回、手紙のやり取りをし、毎月、支援のお金を送金してきました。
 ボリビアに行って、ディエゴ君に会いたいというのが、私の夢です。
 「考えるように生きよ、そうでなければ生きるように考えてしまう」…これはやはり名言です。
  


「失明しても絵を描き続けた画家のメッセージ」

Posted by 蘇南高等学校長. 2021年09月24日17:30
 今日は、2年生の「産業社会と人間」の授業で、校長講話をしました。2年生の高校生活が折り返し地点に立ったことを確認して、後半の学びを展望するキャリア・ガイダンスです。

 冒頭で、私自身が昔お会いしたことがある、エム ナマエさん(1948~2019)のことを話しました。ナマエさんは、38歳の時に腎臓疾患のために失明し、作家への転身をはかりますが、ある出来事をきっかけに再び絵を描き始めます。
 「自分がナマエさんの立場になったとして、どうやって絵を描きますか」と生徒たちに考えてもらいました。これまでの記憶と想像力で描くという回答がほとんどで、確かにそうなのですが、具体的な方法にはふれられていません。でもなかには「触覚でわかる強い筆圧の描線をかいて、そのあとで彩色する」とナマエさんの方法を言い当てた生徒が、ちゃんと出てきます。
 「それに加えて絶対音感ならぬ絶対色感が、パステルの彩色を支えていたんだろうね。」と私が続けます。

 ナマエさんは、作品集『いつか誰でも』の「まえがき」でこう書いています。
――全盲のぼくを画家に復活させた本当の力。それがどんな力なのか、ぼくにはわかりません。ただ、ときどきこう考えることがあります。その力とは、ぼくをこの世界に誕生させたのと、同じ力ではないのかと。
 ナマエさんの言う「力」とは、ある人は「神の力」と考えるかもしれませんし、別の人は「いのちの力」と考えるかもしれません。いずれにせよ、何かの「力」が、私たちにはあるのではないかと思うのです。
 
 生徒たちから様々な質問をもらい、また感想について生徒が意見発表をしてくれました。
 生徒の皆さんの高校生活の後半が、「いのちの奥深さ」を予感する経験と学びを重ねてくれることを、私は心から願っています。

  


雑誌『図書』にエッセイを発表しました

Posted by 蘇南高等学校長. 2021年09月23日15:53
 岩波書店の雑誌『図書』2021年10月号に、「ヴァルター・ベンヤミン」というタイトルのエッセイを発表します。本屋に並ぶ前に、出版社から刷り上がった雑誌が送られてきました。
 『岩波講座世界歴史』が10月から刊行されることにあわせて、編集委員が交代しながら「人物から見た世界歴史」というリレー連載を『図書』誌上で始めます。その第一回が、私の担当です。

 私が取り上げたのは、ドイツの思想家ベンヤミン(1892~1940)です。ベンヤミンは独創的なスタイルでドイツの思想史や現代文化のありようを分析し、ついに大学の研究者のポストにつけず、ユダヤ系であるがゆえにナチス・ドイツに迫害され、最後は亡命の旅の途上で自死しました。といっても、ベンヤミンの生涯を描くことは多くの研究者がやっていますから、私はベンヤミンの遺作「歴史哲学テーゼ」を高校の教室でどう読んできたかということを書きました。(高校の歴史の授業で、難解なベンヤミンの文章を読むということは、あまりないことだと思われます。)

 松本サリン事件の翌年、まだ実行犯が逮捕されていないなかで、私は松本深志高校に赴任して、「危機の時代」に歴史を考えることの意味を問うことになりました。事件の「第一通報者」でありながら「犯人」と疑われた河野さんご一家との出会い、生徒たちとの図書館ゼミナール活動を重ねる中で、私はベンヤミンの思想を「自分事」として考えてきました。その日々を今回のエッセイで振り返ってみました。
 『図書』の最後のページにある「こぼればなし」(編集部便り)でも私のエッセイに言及していただいています。もし機会がありましたら、お読みいただけたら幸いです。

  


「読書村の記憶」

Posted by 蘇南高等学校長. 2021年09月22日15:43
 ロシア・ソ連史研究者の富田武さんの『日ソ戦争 1945年8月』(みすず書房、2020年)を書名に惹かれて読みました。アジア・太平洋戦争末期のソ連の参戦を「日ソ戦争」という概念のもとに詳細に跡付けた労作です。

 ソ連軍の圧倒的な近代的兵器を前にして、なすべもない貧弱な装備の日本軍について、ノモンハン事件の教訓を何も学んでいなかったと、著者は厳しく指摘をします。そればかりか、終戦の事実が満洲で戦っていた兵士たちには知らされず、8月15日の後も、戦争は延々と続いていったのです。
 本書「第2章 日ソ八月戦争」の「4 地元民、反乱満洲国軍による襲撃」の冒頭は、なんと南木曽町の前身である読書村(よみかきむら)の開拓団が、地元民の襲撃を受けて100名をこえる人命を失ったという記述から始まります。日ソ戦争の重要な局面に、南木曽町の人々の歴史が関係しているのでした。

 私たちの足元は、いつも世界とつながっています。
 自分たちの幸せは、いつも世界という視野のなかで考えていかなければならないのだと思います。

  


「南木曽岳の主と出会う」

Posted by 蘇南高等学校長. 2021年09月20日20:53
 齢八十をこえる父と一緒に南木曽岳(1679m)に登りました。
 毎朝、南木曽岳を見上げるところから私の一日は始まります。日本三百名山に数えられる南木曽岳は、北海道をはじめ日本全国から登山者を集めています。そのほとんどは、蘭(あららぎ)コースという、急峻な南側の尾根につけられた50以上のクサリ場・はしごを登るコースをとります。

 今日、私たちが登ったのは、上の原コースという、三留野(みどの)の町の郊外から正面の尾根にとりついて、北尾根から南木曽岳山頂を目指し、蘭コースに下山する「南木曽岳走破プラン」でした。
 いつも眺めている真正面の壁を登るわけですから、こちらもそれなりに急登です。途中の鉄塔からは、蘇南高校とわが住宅が見下ろせて、まず感激。
 そして今回の一番の目的であった、北尾根にたたずむミズナラの巨木に出会いました。登山客もほとんどいない天空の尾根に広く枝を伸ばしたミズナラの迫力は圧倒的で、まさに南木曽岳の主を見る思いでした。

 登山は、その後、1時間半あまり背丈をこえる笹薮地獄に突入し、もがきもがき、出発から4時間をかけて1200mあまりの高度差を登り、何とか山頂に至りました。
 南木曽岳の山頂は、二つのピークと、その間の広い笹原から構成される天上の楽園です。ガスがかかってきてしまい、眺望はあまりききませんが、それでも展望台の巨岩の足元には三留野の町並みが点描のように広がります。
 そして蘭コースの直滑降のような下山コースをたどって下界におりてきました。

 もう少し若かったら、教員を辞めて地域おこし協力隊員として南木曽町を志願し、みんなに愛されて安全な上の原コースの整備をしていたかも…と思う一方で、あの「南木曽岳の主」は、困難なコースの途中に静かに佇んでいたほうがいいのかもしれないと思うのでした。
  


「民主主義の学校でありたい」

Posted by 蘇南高等学校長. 2021年09月17日20:37
 10のポストを目指して15人が立候補した生徒会選挙になりました。
 本校の1・2年生は全員で約100名ですから、約7人にひとりの割合で立候補者が出たことになります。中学の時にはどちらかと言うと控えめなタイプだったけれども、蘇南高校で学ぶうちに生徒会役員に挑戦してみたくなったという生徒が多いのです。

 オンラインの立会演説会の最初に、校長からこう語りかけました。
 「人類の歴史の多くは、役職は「家柄」で決まってきた。例外は古代ギリシアで、市民は平等だと考えたので「抽選」方式を採用したが、無理があった。そんな歴史の中で、議員に挑戦したいものが名乗りをあげて「選挙」で決めていくことをフランス革命が始めた。
 以来、世界には選挙方式が広がってきたが、その選挙はしばしば「形骸化」している。事前調整によって定数と同じ立候補者しかいないとか、あらかじめ事前調整をして結果が明白であるとかいったケースが少なくない。
 でも本校の選挙に「事前調整」はない。まさに民意を問う選挙。みんなは候補者の主張をよく聞いて、政策で判断して投票してほしい。そして立候補した仲間に敬意をもとう。」(おわり)

 そのあとの候補者の演説は、実に面白かったです。こんな蘇南高校にしたいという各自の思いを全校生徒に次々と問いかけてくれました。
 生徒は学校づくりのパートナーだと改めて実感したひとときでした。

 選挙結果は、週明けの朝、昇降口に掲示されます。
  


「障害者とは多様性に対応できていない社会から障害を受けている人」

Posted by 蘇南高等学校長. 2021年09月16日20:23
 今日の全校人権学習は、私自身、大きく心を揺さぶられました。
 ゲストは、先天性の心疾患をもつ猪又竜さんと、5歳の時に筋肉の難病を発症した井出今日我さんのお二人。オンラインでお二人と各クラスをむすび、80分の学習会を行いました。

 「あなたが、井出さんのような電動車椅子の障がい者だとして、無人駅を利用したい。どうする?」というワークショップを行いました。多くの生徒は、「そもそも無人駅を避けてタクシーを使う」「行程そのものを変更する」と答えます。
 そこで猪又さんが、「皆さんは必要があれば、当たり前のように無人駅を使う。ならばどうして電動車椅子の人だけ、無人駅に行くことを諦めなければいけないんだろう」と問いかけます。
 「障害者とは、色々な人がいるということに対応できていない社会や人から“障害を受けている人たち”なんじゃないかな。」
 
 障害とは、その人の資質のことではなく、その人が被っている社会的状態のことなのだ、というとても大切な指摘です。

 最後に「今の病気が完全に治る薬があれば、私たちは飲むと思いますか。」という問いかけがなされました。「一般論ではなく、あくまで自分一人の個人の考え」と断って、お二人は「飲まない」と生徒に語りました。「今、幸せだから。」「自らこの病気を選んだのかもしれないと思っているから。」
 生徒たちに「きみはきみのままでいい」というメッセージを伝えていただいたのでした。

お二人の明るく、誇り高き姿勢に、私は涙をこらえながら、学習会に参加をしました。

 猪又さんと井出さんは、Youtubeに魅力的なチャンネルをもっておられます。機会があれば、ご覧ください。