「生き続けることと自分を大切にすることを沖縄戦のただなかで訴えた人」

 今日から蘇南高校は、休み明けの学校再開です。全校集会の校長講話のあと、整理テスト(3年は進路ガイダンス)を行いました。生徒の皆さんの元気な声が校舎のなかに満ちてくるのを聞きながら、私もとても幸せな気持ちになりました。

 校長講話は、沖縄の日本復帰50周年の節目に、沖縄の歴史や課題について考えてほしいと生徒に語りかけてみました。
 題して「ある野球選手の人生を見つめる」。

 戦前の日本で、旧制第三高校から東京帝国大学に進み、内務官僚になった島田叡(しまだあきら)の生涯をたどりました。
 東大在学中に母校三高の監督になった島田は、合理的な練習や対話を重ねるチーム・ビルディングを行いました。現代に通じるスポーツマンシップの人でした。その島田は内務官僚になり、アジア・太平洋戦争末期の米軍上陸間近の沖縄県知事に派遣されます。前知事が東京に出張したまま沖縄に戻らず、県政が混乱しているなかでの島田の派遣でした。死ぬことになるからやめろと止める周囲・家族に対して、「おれが断ったらだれかが行かなならん。」と言って、沖縄に赴きました。

 島田知事は、米軍の上陸に備えて、住民の疎開、食糧の確保、官吏の逃亡の禁止などを積極的に推進しました。
 いよいよ米軍が上陸して、県民と自分が戦火のなかに巻き込まれていくなかでも、自分たちの壕に逃げてきた余所者をかくまうことや、非常時には畑の作物を余所者が食べても罰しないことなどを指示していきます。周囲の部下・友人たちには、投降してでも生き続けること、自分を大切にすることを説きました。
 摩文仁の丘まで逃げた島田の最期がどのようなものだったのか、今でも諸説ありますが不明のままです。

 時代に流されずに、人間としての一番大切なことを見つめ続けた島田叡の生き方を、生徒たちに伝えました。
 島田が力説した「生き続けることと自分を大切にすること」は、今の時代であっても一番大切なことであると思うのです。

 校長講話の全文は、コチラです。(ちなみに講話の時には写真入りのパワーポイントを使っています。)
https://www.nagano-c.ed.jp/sonan-hs/pdf/20220824_kouwa.pdf

「生き続けることと自分を大切にすることを沖縄戦のただなかで訴えた人」