「いつか誰でも壁にぶつかる そしてそこからドラマが始まる」

 私はクラス担任をしていたとき、学年でコンサートを開くことが好きでした。教室にときどき自分が持っている絵画を持ち込んで飾りました。いつも芸術とともに生きていたいからです。
 「これ、草間彌生の本物の作品、三日間だけ公開します。直射日光に絶対に当てないでね。」と、カーテンを閉めっぱなし。生徒は迷惑だったかもしれません。

 私の敬愛する声楽家の狭間壮さんとピアニストのはざまゆかさんをお招きしてコンサートしたこともありました。そのとき狭間さんが、昔、自分のコンサートに耳の聞こえない人が鑑賞しに来てくれたんだよと生徒に語りかけてくれたことを、今でも鮮明に覚えています。耳が聞こえないけれども歌を味わうことができるのだということを、そのとき私は初めて知りました。

 その後、同じく私の敬愛する作家の朴慶南(パク・キョンナム)さんから失明しても絵を描き続けている画家のエム ナマエさんのことを聞きました。エムさんの詩画集『いつか誰でも』(愛育社、1998年、1300円)は、私の本棚の大切な宝物です。

「不思議なことに目が見えなくなっても、ぼくの仕事はまるで変わりません。現在でも絵を描き、言葉を編んでいるのです。これは自分にも、まるで予想のつかなかったことでした。ぼくに、そんな力があったとは。(…)全盲のぼくを画家に復活させた本当の力。それがどんな力なのか、ぼくにはわかりません。ただ、ときどきこう考えることがあります。その力とは、ぼくをこの世界に誕生させたのと、同じ力ではないのかと。」

 このような前書きにつづいて、エムさんのやさしく温かなパステル画に短い言葉がそえられているページが続きます。

「夢は大きく願いは小さく 小さな願いははじめの一歩 ぼくにもできるはじめの一歩」
「本物のやさしさはインチキなやさしさより ずっとつらいかもしれません」
「真心で祈るとき 不思議な偶然が訪れる」

これは朴さんが教えてくれたのですが、エムさんはボールペンで下書きをし、その輪郭を指でなぞりながら彩色をしていくのだそうです。絵を描くとき、絵が見えているのだと。

エムさんは、こうも書いています。

「天はその人に耐えきれない試練は与えない 試練が大きいほどあなたも大きいのだ」
「いつか誰でも壁にぶつかる そしてそこからドラマが始まる」

「いつか誰でも壁にぶつかる そしてそこからドラマが始まる」