「本を閉じて、私は泣きました」

 高校生の頃に夢中になった本をとりあげて、高校生という人生の「ひととき」が、今にどのようにつながっているかを振り返る7回シリーズの第3夜です。

第3夜 林 京子『祭りの場 ギヤマン ビードロ』(講談社文芸文庫、1988年、980円)

 高校1年生の国語の授業で、ときどき先生がプリントにして配布してくれた追加の読み物のなかに、あるとき、林京子の「ギヤマン ビードロ」がありました。青春時代に長崎で被爆し、その経験を文学に結晶化させている作家なのだと、そのとき初めて知りました。
 国語の先生は、きむずかしい表情を装っていて、「君たちにはわからないだろうが…」が口癖でした。林京子を初めて読んだとき、自分には何だか「わからない」のだけど、彼女が凄い作家だということは、「わかった」のでした。

 その同じ週、私が見つけたお気に入りの隠れ家、諏訪市立図書館の「平林たい子文庫」(平林に贈られた有名作家のサイン本が普通に手に取ることができた)に、林京子が芥川賞を受賞した、短編「祭りの場」が収められた同名の単行本を見つけました。
 形容詞をいっさい使わない乾いた文体で、爆死した友人たちの「いのち」や、原爆症で苦しみながら死んでいった友人たちの「いのち」を、淡々と描いた小説でした。その冷静さと皮肉と無表情のなかに、無限の温もりを感じたのです。

 この小説の中に、小学館の雑誌「小学二年生」の怪獣特集に「ひばくせい人」である「スペル星人」が登場して大きな物議をかもした事件への言及があります。林は、あえてこう書いています。…「原爆には感傷はいらない。これはこれでいい。漫画であれピエロであれ誰かが何かを感じてくれる。30年経ったいま原爆をありのまま伝えるのはむずかしくなっている。」…と。
 どんな形であれ、記憶を誰かがつないでくれることに、わずかな希望を見出そうとする林京子の姿勢に、高校時代の私は深い感動を覚えました。

 翌日、「君たちにはわからないだろうが…」の国語の先生に、「『祭りの場』を読みましたよ。感動しました。」と報告しました。先生は、少し驚きながら、「いいですよね。彼女の作品は。」と微笑んで答えてくれました。

 以来、大学、教員生活、ずっと林京子の作品を読み続けてきました。私の本『世界史との対話』全3巻のラストは、原爆とチェルノブイリとフクシマについての考察です。私の世界観の根底には、林京子の文学があります。
 世界初の原爆実験がおこなわれたUSAのトリニティに立った林は、最初のヒバクシャが、「地球」そのものであったことに気付き、涙します。(『長い時間をかけた人間の経験』講談社文芸文庫、2005年、1200円)
 この小説を読んだとき、私の世界史の結論が形作られました。

 4年前、待望の林京子の新著が出版されました。『谷間 再びルイへ。』(講談社文芸文庫、2016年、1600円)です。被爆者である彼女が、東日本大震災を経験し、そして若者たちと一緒にデモに参加していくことで、彼女の最後の小説はしめくくられます。
 誰が読んでも死を覚悟していることがわかる「あとがき」で、彼女は読者に向けてこう書きました。

 「お逢い出来て私は幸せでした。」

 本を閉じて、私は泣きました。ほどなく林京子の訃報が報じられました。

 私の人生は、林京子の文学とともにあったのです。そしてたぶん、これからもそうでしょう。
「本を閉じて、私は泣きました」