「岐阜県中津川の生徒たち」

 今日から蘇南高校は、いよいよ授業日としての分散登校が始まりました。1年生が朝から午後1時半まで保健室ガイダンス(考えてみたらこうしたことがまだ行えていませんでした)や教科の授業を進めました。

 実は、私は臨時休業の入る前の全校放送で、「家に長い間いることになるけれど、こうしたときだからこそできる『自分自身の学び』があるはずだし、ひとりひとりの学びを横につなげば『みんなの学び』もできるはず。そんな学びを休み明けに報告してほしい。」と呼びかけていました。優秀作品には、校長主催の「ブリコラージュ賞」を贈る、とも。
 ブリコラージュというのは、始業式で私が生徒に話した、フランスの構造主義の哲学者レヴィ=ストロースの『野生の思考』に出てくる概念で、とにかく自分が持っている知識・経験で眼前の課題を乗り越えていくことを意味します。

 それで今日、1年生の担任の太田先生が、「坂下中学校出身の生徒たちが、休校中に動画を作ったようです」と、報告しに来てくれました。早速、その動画を私のPCにコピーして鑑賞させてもらいました。
 これが、まあ、びっくり。

 1年生6人の協働作品なのですが、BGMにのせて、彼ら(彼女ら)の故郷である、岐阜県中津川市の山口・坂下・川上の春の光景が、次々と映し出されます。
 燃えるように咲き誇る花桃、淡く空に融けゆくような満開の桜、春の日差しにきらめく川面、天からの贈り物であるかのように降りそそぐ滝、そしてひっそりと咲く自分の家のまわりの名もなき小さな花々…。
 こうした中津川の豊かな自然が、音楽のリズムにのって、写真のスライドと動画が巧みに組み合わさって、観る者の心に届いてくるのです。
 困った、また涙腺が緩んできてしまう。

 中津川の生徒の皆さんは、岐阜県の厳しいコロナの感染状況のなかで、4月中旬の分散登校にも来られなかった。
 そんな生活のなかで、この6名は、2020年の春の中津川の自然を見つめ、ひとりでそれを撮影し、自分の掴まえた「美しいもの」が未来に友と「つながる」ことを夢見たのでしょう。
 孤独ななかでも行動した勇気、未来を信じた知恵…。
 そして6名が撮影した写真と動画は、見事につなぎあわさり、私のところに届けられたのでした。
 …君たちは、よくやったよ。さすが、中津川の生徒です! よく、この日々に耐えて、この芸術作品を創造しました!

 2週続けて、私は、胸がいっぱいになる経験をしました。

 この動画の前半には、満開の桜の波の向こうに雪化粧をした恵那山がそびえている光景が出てきます。私の自宅のある飯田市からもこの時期の恵那山はことのほか美しく、それがために登山が趣味の私にとって恵那山は、特に好きな山で何回登ったかわからないくらいなのです。

 私が恵那山にみとれているとき、中津川の人々も恵那山にみとれているのだと、ふと気づきました。
 蘇南高校の生徒の皆さんに、「人の心に県境はない」と、教えてもらったような気がします。

「岐阜県中津川の生徒たち」