「特別警報の朝をのりこえて」

 今朝は、最高の危機レベルである特別警報が出されました。南木曽は明け方から激しい風雨が続いていましたが、6時半を回ったころから嵐とでも言うかのような猛烈な風雨になりました。すでに昨晩のうちに臨時休校の連絡はしていましたが、あらためて特別警報の連絡をオクレンジャーにて流し、先生方にも無理な出勤をしないように呼びかけました。
 木曽川もどんどん水かさが増し、雨がやんでも王滝村の牧尾ダムの放流が続いたことから水かさが増し続け、氾濫危険水域を越えました。木曽川は大岩が流れてぶつかる大きな音が響き渡っていました。
 橋が通行禁止になると本校は陸の孤島になってしまうので、校内にいた先生方にも職員住宅以外の方には帰っていただきました。
 指定場所に避難した生徒は10名、職員が7名。
 今のところ本校の周辺では氾濫、土砂崩れなどの被害の情報はありません。

 生徒・保護者の皆さん、教職員の皆さんは、引き続き警戒しながら過ごしていただきたいと思います。明日のことは、あらためて本日夜にオクレンジャーにてお知らせします。

 梅雨前線停滞の豪雨による「蛇抜け」(土石流)の悲劇が繰り返されてきたのが、南木曽の歴史です。
 蘇南高校が発足した1953年7月20日にも、まさに足元の伊勢小屋沢で「蛇抜け」がおこり、3人が犠牲になりました。本校の通学路の途中にある大岩の上の「悲しめる乙女の像」は、その悲劇を心に刻むために建立されたものです。当時、沢の近くには3軒の教員住宅がありました。犠牲になったのは読書中学校の太田校長の幼子2名(ついに発見されず)と教諭の奥様でした。「悲しめる乙女の像」の中には由来の文字を一つずつ記した小石262個と般若心経を記した小石260個が納められたとのこと。
 「白い雨が降るとぬける」「雨に風が加わるとあぶない」「長く雨が降り続いて水が急に止まったらぬける」「蛇抜けの前にはきなくさい臭いがする」…こうした先人からの言い伝えを、太田校長は教訓として土台の石に刻みました。

 今朝は「白い雨」「風が加わる」という2条件がそろっていたので、本校では山側についても警戒を続けていました。

 一方で、傾斜が厳しい地形と多雨で寒さが厳しい気候によって樹木がゆっくり育ち、日本有数の良質のヒノキを育んできたと言われています。
 自然の大きな脅威は大きな恵みでもあります。そんな自然のありようを、学校が再開されたら是非、生徒の皆さんと考えてみたいと思っています。
「特別警報の朝をのりこえて」