岡田先生の詩集

 本校の非常勤講師として地歴公民科の授業を教えてくださっている、岡田政晴先生は、元中学校の校長先生であり、南木曽町の教育長職務代理者の要職にも就いておられます。
 このたび、岡田先生が『空飛ぶ鳥のように 野に咲く花のように』(ほおずき書籍、1800円+税)という詩集を上梓されました。すでに何冊もの著書のある先生ですが、今回の詩集は、「日本の近・現代の歴史を傍らにおいて、私の60数年間の瑣末な人生体験を重ね合わせながら叙事的・叙情的かつ自伝的に詩をつくってみた」(「詩作を終えて」より)ものなのだと、おっしゃいます。
 南木曽町の自然豊かな柿其(かきぞれ)で育ち、蘇南高校で学んだ「少年の章」、早稲田大学に進学して働きながら学び、政治の季節のなかで詩作に夢中になった「東京の章」にはじまり、「家族の章」「故郷の章」「教育の章」「人間の章」「時代の章」というように、人生の折々の思索と実践が、詩とは「魂の源流を言葉に化しそれに生命を与えた祈り」であるという先生の詩歌観そのままに、祈りの言葉のように綴られています。

 「人間の章」に「木曽の円空」という詩が収録されています。木曽川の大洪水で母を失った円空が、木曽川をさかのぼって木曽谷の岩窟に至り、木っ端を持って仏像を彫ります。そして母を弔うために生涯12萬体の仏像を彫ることを発願します。そして乞食坊主と呼ばれながら、一宿一飯を求めて放浪し、庶民のなかで生きていきます。そんな円空の生涯を描いた岡田先生の詩は、こう結ばれています。

    木曽の円空

 (……)
 病に伏せる童子のために小さな木の仏像を彫り握らせる
 小さな煤けた仏壇に置かれ円空像に百姓は節くれ立った手を合わせる
 厨房に置かれた韋駄天は火から館を守る
 やがて円空像は童子の遊び道具になって投げられ蹴られる
 円空像は災難とも思わず童子と一緒に遊ぶ
 風呂の薪となって火の中に焼(く)べられる
 今も仏壇の奥に人知れず静かに横たわる円空像は人々を見守る

この岡田先生の詩を読んで、私は心がふるえる思いがしました。この詩のなかの「円空像」は、人間存在そのものだと思ったのです。
 岡田先生が、これからもお元気に素敵な詩作を続けられることを、私は心の中の円空像に祈ります。
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