「初担任で生徒に語りかけたこと」

 ちょうど30年前のことになります。まだ23歳だった私は、豊科高校で初担任のクラスの生徒と出会った入学式の時、黒板の上に「学規3カ条」を貼りだしました。会津八一の真似をして「学規」などという大仰な名称を用いたことに、今から見れば気負いが見えます。

「学規  1 勉強をするな。学問をせよ。
     2 自分は傷ついても、ひとを傷つけない。
     3 ちょっと目立って大人になれ。 」

というもの。3年間通しての学級目標を掲げたのは、教員生活の中でこのときだけ。
 数年前、クラスの同級会があって、すでに当時の担任の年齢をはるかに超えた教え子が集まったとき、誰かが「学規、覚えてる?」と言うと、みんなが声を揃えて三カ条を大きな声で復唱してくれました。申し訳ないと思うと同時に、感動で胸がいっぱいになりました。

 強いられる受動的な学びではなく、自ら問いをもって探究する学びをつくること。自己保存のために対立がおこる世界のなかで、人を傷つけない生き方がどのように可能なのかが、世界史の最大の課題であること。生徒はみなかけがえのない個性があって、それを大切にしてあげられるよう、自分自身が誰にも真似できない仕事をすること。

 ふと振り返ってみると、私自身が考えていることは、30年前の自分から何の進歩もしていない。同じことを追い求め続けているのでした。
 実は、高校の教員という仕事は、最初から志望していたものではありません。いろんないきさつで何となく選んだものです。でもやる以上は、「学規」のような教育がしたいと思ったのでした。

 昨日、そのクラスの教え子から手紙が来ました。同級会にはいなかったので、久しぶりの手紙です。そのなかに、「自分は傷ついても、ひとを傷つけない」って、実行しようとすると、とても生きづらくなるけど、今でも守っています…とありました。
 思わず色々な感情が一気にこみ上げてきました。

 ふと振り返ってみると、「学規」は、30年前の生徒たちが、私のために掲げてくれた「ことば」になっているのでした。

「初担任で生徒に語りかけたこと」