「さむしろにころもかたしきぬばたまの」

 この土日は、学校で仕事をするとともに、南木曽町の中でかねてから訪れてみたかった場所を訪ねてみました。その一つが、与川地区の古典庵跡です。
 南木曽町の前身であった読書村は、与川村(よ)・三留野村(み)・柿其村(かき)の3村が合併して成立した村でした。このうち与川地区は、中山道が大桑村の野尻からここを経由して三留野に通じていたわけですが、現在では国道19号などの主要幹線から大きく東に外れています。

 国道19号を大桑村方面に北上し、途中「与川入口」と書かれた小さな標識で右折すると、いきなり与川発電所を巻くように細い急な登り坂があり、それを抜けると細いながらも快適な谷すじの道が続きます。・・・と、急に視界が開け、開けた小さな谷の田園風景が広がるではありませんか。「おお!」と思わず、声をあげてしまいました。
 しばらく集落の中を走ると、やがて小高い丘の上に古典庵跡の公園がありました。登ってみて、また、「なんと!」と感動の声が出てしまいます。眼下には黄金の稲穂が揺れ、正面の山々の上に秋の突き抜けるような青空と天に登りつめるような雲が広がります。

 18世紀の後半、つまり江戸時代中期に、あの良寛さんが、ここで見る月に感動して歌を詠んだこともあり、与川から眺める月が「木曽八景」に数えられています。よく与川から見る月は、山間で空が小さいがために、相対的に大きく、美しく見えるのだと言われていますが、ここの月の魅力の原因はそれだけではないのでしょう。

  木曽路にて
 狭筵(さむしろ)に 衣片敷き(ころもかたしき) ぬばたまの 
 小夜(さよ)ふけ方の月を見るかも
                    良寛

 月を見る自分の側がただの「小さいいのち」として存在しているから、月の美しさが自分にしみ入ってくるのだと思われます。そのとき、この与川の空間は、宇宙そのものなのでしょう。
 夢中になって月を眺めていた良寛さんの姿を想像しながら、これを書いている私は、三留野の住宅から秋の美しい木曽谷の月を楽しんでいます。

「さむしろにころもかたしきぬばたまの」