「満洲移民の語り部と生徒との対話」

 9月17日に本校で、満洲移民体験者の可児力一郎さんと私のコラボレーションによる人権講話を行ったと、このブログでも報告しました。
 私の講話では、アジア・太平洋戦争の「終戦」において、忘れ去られていて、戦争が終わらなかった人々がいるということを、生徒に問題提起しました。それは南樺太でなおソ連軍との戦争に巻き込まれた人々であり、満洲に取り残されて、自決したり多くの犠牲を出しながら帰国を目指した人々であったりしたわけです。
 人間の存在を「忘れる」ということの意味を、生徒に問いかけました。そして満洲の地獄絵図を生きのびた可児さんからは、その過酷な経験のなかでどのような「希望の言葉」をつかんだのかを話していただきました。

 人権講話の後、生徒が可児さんへのメッセージを書いています。もちろんこのメッセージを可児さんにお送りしました。
 たとえば、3年生のひとりはこう書いています。

「この講話をきき、玉音放送により“戦争は終わった”と伝えられたにもかかわらず、忘れ去られ、戦争を続けることになってしまった人たちの存在を初めて知りました。このことを聞くまで、『玉音放送が流れた後は戦争はなく、自決とかもなく、平和になった』とずっと信じていたので、激しい衝撃を受けました。半ばおどしとほぼ変わらない方法で満州へ送られ、そして悲惨な体験をした恐怖は、想像すらできないほど大きいものだと思います。
 それでも、一部の中国人から優しくしてもらった体験を大切に思い、今日のように人へ伝える可児さんの強さを心から尊敬します。この話は、コロナの差別にも通じるものがあると思います。もし、もしもクラスの人がコロナにかかった場合は、差別は絶対にしない。どう思える講話でした。」

 どんな困難な状況であっても人の優しさを信じるとか、「忘れられた人」を作ってはならないとか、生徒たちは様々なことを考えたようです。
 そして歴史の事件、過去の悲しみ、今目の前にある勇気・・・そういった世界で出会ったことと、自分の生き方を結びつけていく生徒たちは、「希望」そのものだと思うのです。
「満洲移民の語り部と生徒との対話」