「予定調和の防災訓練にしない」

 ストーブ使用を前にして、今日は、木曽消防署南分署さんに来ていただき、防災訓練をおこないました。地震と火災が起こったことを想定しての避難の訓練です。

 学校の防災訓練というのが形式的なものになりがちだという問題意識をもっていたので、次のことを改革しました。
 第一に、これは「教員のための訓練」である。出火場所を避けて生徒を安全に移動させ、授業担当者が責任をもって点呼をし、報告すべきこと。(避難したらHRごとに並び替えて点呼をとるのでは意味がない。授業担当者が責任を持つ。)
 第二に、生徒にとっては、災害が起こるとどのような事態になるかを想像し、今できる予防措置を考えるとともに、過去の災害体験者の経験から学ぶ機会とする。そのためには校長講話をきちんと組み立ててじっくり話をする。

 校長講話では、まず、阪神・淡路大震災のニュース映像を視聴しました。今の高校生の年代にとっては、もう歴史年表の中の出来事です。そして精神科医の中井久夫の著書『災害がほんとうに襲った時』(みすず書房)や林 春男ほか編『防災の決め手「災害エスノグラフィー」』(NHK出版)などをもとにしながら、どのような悲劇が起こり、救助や被災者支援を行う人々がどのような「想定外」の困難に直面したかを考えました。

 中井久夫が書いている、「有効なことをなしえたものは、すべて、自分でその時点で最良と思う行動を自己の責任において行ったものであった」という経験は、未来に向かって語り継いでいくべきものです。誰かが指示を出してくれる。誰かが何かをしてくれる。そうやって誰かを待つのではなく、自分で判断して自分から動いた者が、その事態をのりこえたのだというのです。
 「ブリコラージュをしていこう」と私がコロナ禍のなかで生徒に語ってきたこととつながるように思いました。(講話の内容はHPに載せました。)

 消防署さんと今日の反省を振り返りました。やってみて課題が次々と浮かび上がってきました。どのように点呼を早めていくのか。どのように校舎の外に迅速に出るのか。誰もが緊急放送を操作できるようにするにはどうするか・・・などです。
 「想定外だからできなかった」という言い訳をすることだけは、断じてしたくありません。
 「災害後」というのは、「災害間」である(次の災害までのインターバルでしかない)という考え方を心にとめ、危機管理システムを磨いていこうと決意した一日でした。
「予定調和の防災訓練にしない」