「長崎から来た平和の語り部と生徒たちとの対話」
Posted by 蘇南高等学校長.
2020年10月29日15:47
いよいよ2年生の長崎修学旅行が再来週に近づいてきました。
昨日は、長崎平和推進協会「家族・交流証言者」の田平由布子さんにはるばる長崎からお越しいただき、2時間続きの平和学習を行いました。
一言で言えば、とても感動的で濃密な2時間になったのです。
まず、「語り部」のイメージとは全く違う20代前半の女性の登場に一同(私も)驚きました。
「私は、長崎で生まれ育ち、平和教育を受けてきたのですが、当時は核問題、原爆のことに全く関心がありませんでした。原爆資料館に行ったという記録があるのですが、記憶がありません。」「平和学習とは毎年同じことを学んで退屈だし、自分とは関係がないと思っていました。そんな私が『語り部』につながる核兵器の勉強を始めたきっかけは…」という語り口ですから、私たちも思わず身体を乗り出して聞いてしまいます。
日常生活の目線で「平和学習」をとらえなおしていくことの大切さをあらためて考えさせられました。
田平さんは、3年前にお亡くなりになった吉田勲さんという被爆者の体験を語り継いでおられます。戦争体験者の高齢化により、記憶の継承が困難になっていくなかで、田平さんのような、後に続く世代が「語り継ぐ」という方法があるのだと知りました。その場合、私は当初、田平さんが証言を俳優のように丁寧に朗読している(演じている)と思っていました。
ところが田平さんは、最後の結論のところを録音テープで流し、それが機材の不調で途切れがちになったとき、「結論だけは吉田さんの肉声で聞いてほしかったのですが、やはり私がしゃべります。でも吉田さんの声は、息継ぎの場所も含めて暗記しているので、私の再現を聞いてください。」と、田平さんの語りを続けました。
そのとき私は気づいたのです。これは吉田さんの証言を田平さんが細部まで「再現」しようとしているうえに、田平さんの「思いが乗っている」から私たちの心を揺さぶるのだと。
戦争の記憶を語り継ぐことに、ひとすじの希望が見えたひとときでした。
1時間の講演の後、田平さんと生徒たちとのクエスチョンタイムが、なんと1時間続きました。まあよく質問の出てくること。しかもそれぞれがとても深い意味のある質問でした。「核抑止力とは何か」「キューバ危機で抑止論が破綻したら世界はどうなっていたか」などなど。
生徒たちの心が揺さぶられたからこそ、濃密な対話へと発展したのだと思います。
この学びをもとに実際に長崎の地に立って、蘇南高校生がどんなことを考えるのか。コロナ禍のなかの修学旅行が、いよいよ幕をあけます。

昨日は、長崎平和推進協会「家族・交流証言者」の田平由布子さんにはるばる長崎からお越しいただき、2時間続きの平和学習を行いました。
一言で言えば、とても感動的で濃密な2時間になったのです。
まず、「語り部」のイメージとは全く違う20代前半の女性の登場に一同(私も)驚きました。
「私は、長崎で生まれ育ち、平和教育を受けてきたのですが、当時は核問題、原爆のことに全く関心がありませんでした。原爆資料館に行ったという記録があるのですが、記憶がありません。」「平和学習とは毎年同じことを学んで退屈だし、自分とは関係がないと思っていました。そんな私が『語り部』につながる核兵器の勉強を始めたきっかけは…」という語り口ですから、私たちも思わず身体を乗り出して聞いてしまいます。
日常生活の目線で「平和学習」をとらえなおしていくことの大切さをあらためて考えさせられました。
田平さんは、3年前にお亡くなりになった吉田勲さんという被爆者の体験を語り継いでおられます。戦争体験者の高齢化により、記憶の継承が困難になっていくなかで、田平さんのような、後に続く世代が「語り継ぐ」という方法があるのだと知りました。その場合、私は当初、田平さんが証言を俳優のように丁寧に朗読している(演じている)と思っていました。
ところが田平さんは、最後の結論のところを録音テープで流し、それが機材の不調で途切れがちになったとき、「結論だけは吉田さんの肉声で聞いてほしかったのですが、やはり私がしゃべります。でも吉田さんの声は、息継ぎの場所も含めて暗記しているので、私の再現を聞いてください。」と、田平さんの語りを続けました。
そのとき私は気づいたのです。これは吉田さんの証言を田平さんが細部まで「再現」しようとしているうえに、田平さんの「思いが乗っている」から私たちの心を揺さぶるのだと。
戦争の記憶を語り継ぐことに、ひとすじの希望が見えたひとときでした。
1時間の講演の後、田平さんと生徒たちとのクエスチョンタイムが、なんと1時間続きました。まあよく質問の出てくること。しかもそれぞれがとても深い意味のある質問でした。「核抑止力とは何か」「キューバ危機で抑止論が破綻したら世界はどうなっていたか」などなど。
生徒たちの心が揺さぶられたからこそ、濃密な対話へと発展したのだと思います。
この学びをもとに実際に長崎の地に立って、蘇南高校生がどんなことを考えるのか。コロナ禍のなかの修学旅行が、いよいよ幕をあけます。

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