「ブナの声を聴いた詩人~北川山人のこと」

 蘇南高校のOBに北川山人という詩人がいることを、最近、縁あって知りました。『詩集仙人ブナ』(土曜美術社出版販売)と短編集『日光の仙人』(近代文芸社)、『イタコの草笛』(東京図書出版会)の3冊を読んだのですが、どれも素晴らしい作品です。
 北川山人(1941~2014)はペンネームで、本名は河合敬一。旧山口村(現中津川市山口)の生まれで蘇南高校を卒業後、宇都宮大学・法政大学に学びます。JA全国連に勤め、“農”の原点を求めて青森県の農業高校の教師になります。そのかたわら、キリマンジャロ、アコンカグア、モンブラン等の世界の高山を登り、日本各地の修験道の山々を歩き回り、多くの詩集を残しました。
 『陸奥新報』(2001年9月24日付)に北川山人のことが、このように紹介されています。
 「彼は自然の中に霊性を見、修験者のように山々を駆け巡る。自らの山行を巡礼と称している。(……)休日はほとんど白神山中で過ごす。樹木や滝や生き物たちに霊性を見、自らがその自然の中にあることを感謝して過ごす。白神山地の滝はすべて踏破したというから半端ではない。」(川口紘「飛天百景60」より)

 『詩集 仙人ブナ』のなかにある「銀河の森」は、白神山地のブナに夕暮れから夜の闇がおりるまでを描いた詩です。その後半部分は次のようにうたわれています。

  宇宙と
  神々と
  自然の安らぎが
  やさしくブナの老木を包むとき
  森は一日の休息に入り
  けものたちは落葉の寝ぐらの中で温かく眠っている

  やがて夜露がブナの小枝に降りると
  生きものたちの遠い夢路
  銀河の森が生まれ
  一面真っ青なブナ原生林が
  宇宙の果てまで広がっていく

銀河が森を包むのではなく、森が銀河となって宇宙の果てまで広がっていく…というイマジネーションが素晴らしいと思うのです。
 小説「日光の仙人」は、人生に絶望して死を願って日光に来た青年が、山の中で質素に暮らす老夫婦との交流から生きる意志を取り戻す物語です。そして小説「イタコの草笛」は、夫に先立たれた高齢の女性が、息子夫婦のことで疲れ果てて生きることに喜びを失ったとき、恐山のイタコを通じて亡き「じさま」と再会し、「生きる勇気」を取り戻していく物語です。
 北川山人の小説の登場人物たちは、大自然のなかで何かに祈る経験をとおして、未来への希望をつかんでいきます。

 『詩集 仙人ブナ』のなかにある「ブナの念仏踊り」に私は圧倒されました。この詩の後半を引用します。

  ブナの葉に溜まったこの世の苦しみが
  永遠の涙となってポトリと落ちるとき
  森の木々は大きな溜め息をつき
  けものたちは哀しげに鳴く

  この森は
  水の森だ
  ブナの葉から一滴の露がこぼれ落ちて
  果てしなく深い縄文の世界に沈んでいくと
  谷間に霧が生まれ
  稜線を白竜のように舞い上がってくる
  墨絵のような幻影は広がり
  仙人ブナの巨木が
  白い杖を振る

  ここはまるで法華経の奥に広がる
  踊り仏の世界だ



追記  私を北川山人の書物に出会わせてくださった、木地師学会会長の楯英雄先生に心から感謝申し上げます。

「ブナの声を聴いた詩人~北川山人のこと」