「桃介橋が架かる町で学ぶこと」

 今日は、後期選抜の2日目で面接検査でした。予定通り、すべての検査日程を終えました。3月19日が入学予定者の発表になります。
 入試業務の期間中は、原則として教職員以外は校舎に入ることができません。来客のいない校長室のテーブルの上には、本校の同窓会が1980年代から90年代にかけて発行した同窓会報『鵬翼』が積まれています。副会長の楯盛親さんからお借りしているもので、とにかく内容が面白く、私は読みふけってきました。封筒に入る四つ折りのサイズで、表紙の写真を見るだけでも本校と南木曽町の歩みがよくわかります。

 たとえば、1993年冬号の写真は、復元がなしとげられた桃介橋を本校の女生徒が渡ろうとしているところ。ピッカピカの桃介橋にも驚きますが、女生徒のスカート丈の長さにも「!」です。その前年の1992年冬号の写真は、朽ち果てて横転寸前の桃介橋の風景です。編集者は、この2枚を対比して後世に残そうとしたのでしょう。

 桃介橋は、電力王と言われ、木曽川の電源開発を進めた福沢桃介(福沢諭吉の娘婿)が架けた吊り橋で、現在は国の重要文化財に指定されています。木曽川の最も幅の広いところに、わざと目立つように斜めに架けられているこの橋は、険阻な南木曾岳をバックにして青空に映える、本当に美しい建造物です。
 町の人々の熱意ある運動によりこの橋が後世に残され、その橋の上の本校に高校生たちが集ってくる。
 この「絵のような風景」を大切にしていこうと改めて思ったのでした。
「桃介橋が架かる町で学ぶこと」