「コロナの時代の主体のありかた」

 今日は、長野県高等学校校長会の春季総会がありました。

 スピーチをした何人もの方が口をそろえていたのは、コロナの時代に、どうすれば学びが成り立つか、どうすれば行事や部活動が成り立つかを、生徒たちが必死に考えて創意工夫するようになってきたということです。
 このことは、本校の生徒たちにもあてはまることで、今、生徒会執行部は必死に文化祭のあり方をプランニングしています。いつもだったら前例踏襲でやっていけばよいことも、今回は一から安全性を確認し、大きなアレンジを加えなければなりません。何より今のこの状況の中で、この学びを行う意味はどこにあるのかということから確認するいとなみになります。

 これまで私たちは、「主体的に生きよう」と言う時、その「主体」というのは、独立していて自由を行使する個人(サブジェクトsubject)を念頭に置いていました。でも今の私たちの時代状況は、完全な自由を許しません。そうではなくて、相互依存の社会の中で他者の呼びかけに応答しながら生きていく主体(エイジェンシーagency)というあり方が、今の私たちの主体性の姿であるように思うのです。

 エイジェンシーとしての主体としてどう生きるかは、まさに気候変動の時代状況の中でどう生きるかということと、つながってくるのでしょう。
 コロナとの闘いは、もっと大きな世界史の闘いの前哨戦なのではないかと、私は考えています。
「コロナの時代の主体のありかた」