「センターで学校経営の研修を受ける」

 今日は、年2回ある校長研修の日でしたので、塩尻市片丘にある総合教育センターに終日出張でした。
 センターは以前の私の職場でもあります。隣の蕎麦畑は、可憐な花が満開の状態です。北アルプスこそ雲の中でしたが、「しののめの道」の美しさに改めて見入りました。

 もちろん研修も充実していました。明星大学の神林寿幸先生の講義は、教員の業務負担のありかたを歴史的にたどるもので、まさに灯台下暗しのところを学び直すことができました。

(1)戦前の教員は「身分給」だった。(無定量の勤務に服すべき公法上の義務を負う者という位置づけ)
(2)戦後の労働基準法のノーワーク・ノーペイの原則により、「職務給」(勤務時間に応じた俸給)に転換し、所定拘束時間が最も多い割増支給となった。そのかわりに超過勤務手当を支給しないことになった。
(3)1950~60年代に各地で教員の超過勤務訴訟が起こされ、各地の地裁判決で教員が勝訴するようになり、その対応として給特法が成立し、4%の教職調整額が支給されるようになった。その根拠となったのは、1966年に文部省が行った「勤務状況調査」であった。これが現行の教員の給与のあり方である。


 ・・・これは講義のほんの出だしの部分ですが、教職調整額の4%の根拠が55年前の教員の超過勤務時間であるとは!(ちなみに1966年は私の生まれた年。)
 当時と今とでは、教員の仕事の内容は大幅に違います。単位時間の労働の質も違っています。私の高校時代、先生たちは授業の空き時間によくテニスや将棋をしていました。(高校内に温泉があったので、風呂上がりに授業をしていた人もいた。)
 教員とは何と優雅な職業だろうと思って、なってみたら、年を追うごとに忙しくなって、いつのまにかテニスをするなんて、想像もできない。

 学問は、スコレー(ギリシア語の暇)からうまれるものですし、ゆったりした心構えの中で生徒を支えた方がいいに決まっています。蘇南高校の先生方は猛烈に忙しいなかで、教材研究をし、ひとりひとりの生徒をきめ細かく支えようとしています。

 さて、どうするか。いつものど元に突き付けられている重い課題です。
「センターで学校経営の研修を受ける」