「県立歴史館の満州青少年義勇軍展を観る」

 今日は、夏季休暇をとって、千曲市にある長野県立歴史館の夏季企画展「青少年義勇軍が見た満州――創られた大陸の夢」を見学しました。
 ちょうど昨日、旧読書村の開拓団の一員として満洲に渡り九死に一生を得て帰国した、可児力一郎さん(90歳)が校長室に来てくださり、歴史を語り継ぐことについて懇談をしたところです。

 県立歴史館の今回の展覧会は、青少年義勇軍の送出にあたって、島木赤彦・北原白秋・河東碧梧桐らの文化人が果たした役割にふれた展示から始まり、壮行会の送辞と答辞、送出のノルマの割り当て表、女性の果たした役割、戦後のシベリア抑留など、一連の歴史を物語るとてもたくさんの史料を展示していました。

 しいていえば、「当時の史料」としては残っていない、引き揚げ時の具体的な悲劇を理解できる「証言(オーラル・ヒストリーの成果)」を示しておけば、前提となる知識を持たない方々(特に子どもたち)にも展示史料のもつ意味が、より明瞭になったのかもしれません。
 それはともかく、よくこれだけの史料を集めて、多角的に満洲に送られた青少年の歴史を考える空間を創造してくださったと、県立歴史館の職員の皆さんの努力に心からの拍手を贈りたいと思います。

 私の目が釘付けになった史料が、長野県の全市町村に割り当てられた青少年義勇軍の割り当て表です。昭和13年のものと昭和14年のものが並べられています(この2枚を並べた企画側のセンスは秀逸)。昭和14年のものになるとノルマの未達成分が朱字で印刷されています。

 このような「上からの指示」に直面した時、現場の責任者はどのように行動したのでしょうか。校長という自分の今の立場を振り返りながら、現場をあずかる私たちは、職責への義務感だけではなく、自律した判断力とか良心をもたなければならないということを、改めて考えさせられます。
「県立歴史館の満州青少年義勇軍展を観る」