「かなしみの奥のほほえみ、涙の奥の笑」

 今回の豪雨により避難された皆様、被災された皆様に心よりお見舞いを申し上げます。
 長い大雨が小康状態になり、交通が少しずつ復旧をしてきています。木曾川は昨日の朝、橋げたぎりぎりに水位が上昇しましたが、辛うじて氾濫を回避できました。
 この間、多くの励ましのお便りをいただきましたことにも深く御礼を申し上げます。

 今日は、今夏の読書の話です。
 島崎藤村の『夜明け前』全4巻を夢中になって読破しました。この大長編小説を読む覚悟が今までなかったのですが、9月末の終始業式(本校は2学期制)の校長講話のテーマを「島崎藤村について」と決めているので、その準備のために読み始めたのです。夢中になって実質三日で読みとおしました。今は、歴史家や文芸批評家の「『夜明け前』批評」をあれこれ読んでいます。

 藤村は、文明開化や富国強兵といった近代化が進められた明治という時代を、同じように世直しを目指したものの途中で切り捨てられた水戸浪士や赤報隊が通り過ぎて行った、馬籠宿の視点から見つめ直しています。
 馬籠をはじめとする木曽の人々もまた、自分たちの森林を強引に国有化されるという形で見捨てられていきます。明治維新を「敗者のまなざし」で見つめ、深い哀しみのなか、心身をともに病んでいく青山半蔵(藤村の父の島崎正樹がモデル)が主人公です。

 しかし一方で、藤村は近代化そのものをすべて否定するわけではありません。「敗者のまなざし」のもつ観念性、特に古き良き日本に復古していくという発想から生じる排他性に対して、藤村は批判的に見つめます。『夜明け前』の完結は1935年のこと。満州事変から日中戦争に向かう昭和期日本の歩みが意識されていたと思われます。
 ただし、藤村が特高に摘発されるのをおそれていたという説がある一方、多くの兵士を死に追いやった『戦陣訓』の校閲を藤村がおこなったという事実もあり、藤村と政治の関係はとても多義的です。

 敗者のまなざしで明治の近代化を批判しつつ、敗者の側の問題点も見つめるというのが、『夜明け前』の構造です。歴史の見方として、とてもすぐれていると私は思いました。
 第4巻(第2部の下)の中ほどに、失意の青山半蔵が飛騨の神社に勤めたとき、ある国学者の生き方と思想に感銘を受けたというくだりがあり、そこにこう書かれています。

――半蔵が聞きつけたのも、この声だ。かなしみの奥のほほえみ、涙の奥の笑だ。

 このさりげない表現に、藤村の思いが凝縮されているように思えてなりません。人間のありようを単純にひとつの方向から裁断しないことの大切さです。
 かなしみの奥のほほえみが見えているか。涙の奥に笑いがあることが見えているか。それが人間だろうと、この小説は語りかけてきます。「かなしみの奥のほほえみ、涙の奥の笑」というフレーズは、この大河小説のなかの北極星のような言葉でしょう。

 小説のラストは、「わたしはおてんとうさまも見ずにしぬ」と言って病死した半蔵のために、土葬の墓を掘る男たちの鍬の音が、馬籠の宿に響き渡る風景が描かれます。夜明けは、敗者たちのところにはまだ来ないのです。
 しかし、かなしみが深まれば深まるほどに、その奥にある「ほほえみ」「笑い」をどう聞くかが、私たちに問われてくると、私には思われました。
「かなしみの奥のほほえみ、涙の奥の笑」