「全校生徒に島崎藤村の批判精神について講義をする」

 2学期制をとっている蘇南高校は、今日が前期の最終日です。全校生徒が体育館に集まって、終始業式を行いました。
 3カ月前から準備を進めてきた講義のタイトルは、「単純な正義を疑うこと――島崎藤村『夜明け前』を読む」です。今は岐阜県中津川市になった馬籠に生まれた、作家・島崎藤村の大河小説『夜明け前』を読み解くことを試みました。
 藤村が口語体で美しい自然や自由な恋愛を描くことは、新しい日本語を創造する試みでした。その近代社会の小説の旗手である藤村が(完成までこぎつけた)最後の小説のテーマとしたのが、生まれ故郷の馬籠を舞台にした、父親にとっての明治維新でした。

 主人公の青山半蔵(父の島崎正樹がモデル)は、平田国学を学び、封建思想に強い批判の思いを抱き、討幕運動にかかわっていきます。しかし明治新政府が出発すると、青山半蔵の眼前に展開したのは、木曽の山林を問答無用に国有化していく、富国強兵の現実でした。世の中に受け入れられず、苦悩の中で体調をくずした半蔵は、自宅の座敷牢の中に閉じ込められて「わたしはおてんとうさまも見ずに死ぬ」とつぶやきながら、死んでいったのです。

 藤村のまなざしは、「弱き者」の立場をかえりみない明治維新の正義を疑い、同時に「人間の複雑な心」を見ない父親の正義についても疑います。私は、「藤村のまなざしを『単純な正義を批判する精神』と呼びたい」と生徒に語りかけました。
 半蔵がとらえそこなった「人間の複雑な心」について、『夜明け前』は、ある国学者の姿を描く形で、人間には「かなしみの奥のほほえみ、涙の奥の笑」があると描写しています。「かなしみの奥のほほえみ、涙の奥の笑」をもつ人間の姿は、生徒たちが生きていく中できっと実感することがあるだろうし、学問を学んでいくときに大切にしたいことだ、というのが今日の私のメッセージです。
(講義原稿はこちらです。https://www.nagano-c.ed.jp/sonan-hs/pdf/20211001_koutyoukouwa.pdf

 島崎藤村の「記憶の地層」の上に蘇南高校はあります。本校には、藤村ゆかりのものが何もないので、私が藤村直筆の小さな色紙を購入して、同窓会に寄贈しました。万葉集の歌を書いているのですが、船に乗って海の沖合で「夜明け」を見つめていた、という内容の歌です。
 色紙を図書館に飾りました。
 本当の「夜明け」を探究するような高校にしていこう、という思いをこめています。
「全校生徒に島崎藤村の批判精神について講義をする」