「長崎の原爆の記憶と対話をする」

 今日は、2年生の長崎修学旅行のために事前学習を行いました。
 まずは、校長による「30分でおさらいする日本近代史」。中学で学んだ知識をもとに「なぜ列強は植民地支配を進めたのか」「なぜ戦争の呼称が“事変”になったのか」「なぜ日本はアメリカに宣戦布告したのか」「なぜ広島と長崎に原爆が落とされたのか」を考えました。すべての「なぜ」が実は一続きにつながっています。

 そして長崎からお招きした田平由布子さんに「長崎原爆交流者証言講話」をしていただきました。
 生存するヒバクシャが少なくなる中で、若い世代がヒバク体験を継承して高校生に伝える活動をしています。
 田平さんもそのおひとりで、享年77歳でお亡くなりになった吉田勲さんの体験(記憶・生き方)を、自分のお仕事と両立させながら、語り継いでおられます。実は昨年度も田平さんは蘇南高校にお越しいただきました。

 私は田平さんの講話をとても心待ちにしていました。記憶を語り継ぐということは、どのようにして可能になるのかということを、私自身が深く考える機会になるからです。
 戦争経験者が少なくなっていくなかで、①映像や音声で伝えるという方法がありますが受け手が受動的な消費者になるおそれがあります。②演劇のように第三者が演じるという方法がありますが虚構と事実の境界がとても曖昧になります。

 田平さんが「語り継ぎ」をしているのは、①でも②でもありません。吉田さんの記憶に懸命に手を伸ばそうとし、その記憶と対話をしている田平さんご自身のことが、私たちの心に刻印づけられながら、吉田さんの記憶が語られるのです。つまり、田平さんと私たちが、ともに吉田さんの記憶に手を伸ばそうとする「対話空間」になる。

 ――③第三者が記憶を守り、対話をしようとする空間を共有して、聞き手も対話に参加する。


 そんな「語り継ぎ」の方法であると言えましょう。
 田平さんが試行錯誤していることを、私があえて理論化してみました。

 今年も生徒たちが夢中になって「ことば」を聞き、考え、心を動かし、田平さんに語りかけていました。
 
「長崎の原爆の記憶と対話をする」