「私たちのバラは名もなきバラ」

 今日から蘇南高校は2022年の授業をスタートさせました。本年もどうかよろしくお願いいたします。

 朝の全校集会(オンライン配信)の校長講話のタイトルは、「私たちのバラは名もなきバラ」としました。謎めいたタイトルは、イタリアの哲学者エーコが書いた推理小説を映画化した『薔薇の名前』(1986年、仏・伊・西独作品)のラストシーンに映し出される字幕から引用したことばです。
 中世ヨーロッパのスコラ哲学の「普遍論争」の唯名論について説明し、(神が定めた)共通しているのは「バラ」のような名前だけであり、その名前を使って心の中に思い浮かべる個物としての「バラ」はひとりひとり異なっていることを見つめました。

 だから私たちは「ことば(名前)」を使ってコミュニケーションをとろうとしても、理解し合えないことがいくらでもある。もっと言えば、「わかりあえている」と思っていても、つきあいっていくうちに「わかりあえていない」ことが次々と露呈してくる。

 私は、孤独である。
 そしてあなたも孤独である。
 孤独であるというのは、代理がきかない「かけがえのないいのち」であるということだ。

 だからその「いのち」どうしが、わかりあうことが困難だと知りながら、それでも「ことば」を丁寧に使いながらわかりあうことを努力していくことが大切なのではないか――そんなことを語りかけてみました。(全文は高校のHPに掲載https://www.nagano-c.ed.jp/sonan-hs/pdf/20220106_zenkou_koutyou.pdf

 いつか講話にしたいと考えてきた念願のテーマ(剛速直球ど真ん中のつもり)でした。
 生徒たちがどう受け止めたか、これからゆっくり対話をしていきたいと思います。
「私たちのバラは名もなきバラ」