「学問の自由研究と芸術の自由発展とを妨げる国は栄える筈がない」

 今日は、お盆前の学校に出勤しました。
 教職員には、お盆休みをしっかりとろうと呼びかけていたため、出勤したのは私と事務職員の2名だけで、終日一件の電話もかかってこないという静寂に包まれた一日でした。

 このようなときには読書をするにかぎります。
 今年は「森鴎外没後100年」であることから、岩波新書で中島国彦『森鴎外 学芸の散歩者』が刊行されました。この本をじっくり読みました。最新の研究をふまえた、森鴎外の評伝です。よく知られているように、森鴎外の本職は軍医であり、作家はパラレルキャリアでした。陸軍軍医としての彼は日清戦争・日露戦争に従軍しており、時には上官から作家活動が奔放になりすぎないよう釘をさされていました。
 「余ハ石見人森林太郎トシテ死セント欲ス」というのが有名な遺言で、彼は陸軍の肩書を一切拒絶し、森林太郎という一人の人間として最後を生きようとしました。
 
 日露戦争の後、「学問の自由研究と芸術の自由発展とを妨げる国は栄える筈がない」と鴎外は書いた、とこの本は描き出しています。一貫した鴎外像です。

 鴎外と言うと、高校の国語の教科書に出てくる『舞姫』の印象が強烈で、出世のためにドイツで出会ったエリスを捨てた非情な男という人物イメージになりがちです。実際のエリーゼ(踊り子ではない)と鴎外の関係のことが、研究でだいぶ明らかになってきています。これも本書から教えられました。

 ちなみに、私は、かつての恋人が別の男性と一緒に来日して、主人公に再会する事件を描いた『普請中』という短編小説が好きです。心をかよわせようとする元恋人に対して、主人公は「ここは日本だ」と冷淡に繰り返します。建設中(普請中)の日本に生きている主人公に、人を愛する自由(または勇気)はありませんでした。
 鴎外は、空虚な主人公よりも、繊細に心が揺れている元恋人の方を丁寧に描写します。それは描くことで女性を少しでも我が物にしたいと考えたコンプレックスの表れだったのか、描写の対象になりうるのは自由な女性だけだとする芸術家としての信念の表れだったのか。

 鴎外の小説を読んでいると、問いが次から次へと湧いてきます。いつか鴎外をテーマに歴史の授業をしようと思っています。
 

「学問の自由研究と芸術の自由発展とを妨げる国は栄える筈がない」