「夏休みの最後に杉原千畝記念館を訪ねる」

 今年の夏休みもコロナ禍と新盆のために外出をほとんどせず、家族で開田高原の木曽馬牧場にドライブに行った程度でした。
 最後の休日を有意義に使おうと思い、岐阜県の八百津町にある杉原千畝記念館を訪ねました。蘇南高校から最短距離でわずか50km程度なのですが、途中何度も細い崖の山道を通り、「ポツンと一軒家」の捜索隊の気分も味わいました。

 まず結論から言うと、行ってよかった! 
 杉原千畝は、リトアニアのカウナスでナチス・ドイツ(スターリンという面もあり)から逃れて、日本経由で自由の天地に行こうとしたユダヤ人たちに、日本の外務省からの命令をふりきってビザを発給しつづけました。八百津町は杉原千畝の生誕の地なのです。
 何が良かったかというと、実際のビザを見ることができたからです。劣化を防止するために展示されているのは精巧な複製品なのですが、それでも1枚1枚のビザがどのような構造になっていて、これを作成するために杉原がどれだけ大変だったかがよくわかるのです。

 実は、ユダヤ人がリトアニアを脱出して日本(そして上海)にたどりつくまでには、杉原のビザだけでは足りないのであり、多くの人々の「いのちのリレー」があったことを、私は『世界史との対話』下巻で書きました。このくだりは多くの読者からのメッセージをいただいてきました。

 展示されているビザをみると、在カウナスのオランダ名誉領事・スワルテンディクが、カリブ海に浮かぶ植民地キュラソーへの移動を認める記載が左にあり、それに向けて日本の通過を認める杉原のビザが右に記載されています。多くのビザを処理するために、途中からスタンプを押していますが、それでも杉原が直筆で書く部分は多く、杉原の苦労が想像できます。
 私は実際のビザを見て、心がふるえました。

 本当に大切なことは、上からの指示に服従するのではなく、自分の良心に手をおいて判断すること。…この人間として最も大切なことを、私は杉原千畝から教えてもらったのです。

 追伸
 館内は写真禁止です。ビザの写真は購入した「証言集」に収録されていたものです。
 杉原千畝記念館へは、高速道路を使えば、もっと安全に行けるはずです。でも冒険しなきゃね。
「夏休みの最後に杉原千畝記念館を訪ねる」