「島崎藤村生誕150周年の記念映画を観て」

 今日は、飯田のセンゲキシネマズで、映画『破戒』を観ました。
 島崎藤村生誕150周年の今年、60年ぶりに東映が『破戒』の再映画化に挑戦したのです。

 明治維新で四民平等の世の中になったとはいえ、新平民とされた被差別部落出身の人々への酷い差別は続き、主人公の瀬川丑松は、「隠せ」という父からの戒めをかたく守りながら飯山の尋常小学校の教壇に立ちますが、やがて出自を同僚に暴かれそうになります。苦しむ丑松は、平等な社会を目指して戦う人々の姿に限りない共感を寄せ、やがて教壇で自分が部落出身であることを告白して、学校を去るというストーリーです。

 日本社会に部落解放の思想が広まるにつれ、主人公が出自を隠していたことを生徒に詫びて、教職を去るという小説の「敗北の結末」に大きな批判が寄せられるようになります。『破戒』は忘却された小説のひとつになっていきました。
 でも主人公のモデル・大江磯吉が、私の家のある飯田の出身ということもあり、私はこの小説にずっと関心を寄せてきました。飯田高校の時には生徒たちに小説の紹介もしました。

 私にとって目の覚めるような思いがしたのは、評論家の宮崎学さんの『近代の奈落』(解放出版社)の『破戒』論です。宮崎さんは、藤村は解放運動を実践しようとしたのではなく、主人公の悲しみと勇気に寄り添ってこの小説を書いたのであり、その観点でこれを読めば、生徒に隠しごとをしていた自分を詫びる丑松の姿は、単なる敗北ではないと論じたのです。

 今回の前田和男監督のこの映画も、子どもたちに詫びる瀬川丑松を、未来に向けて真摯に歩き出す青年の希望として描いています。
 私は心から感動しました。まさに現代に『破戒』が見事に再生したと思いました。

 藤村にゆかりのあるわが南木曽町で、是非とも上映会をしたいものです。

 追伸
 写真は、十川信介『島崎藤村』(ミネルヴァ書房)のなかの『破戒』初版の表紙です。(藤村記念館提供)
「島崎藤村生誕150周年の記念映画を観て」