「目線のサキは、『未来と過去の両方』」

Posted by 蘇南高等学校長. 2020年07月31日19:02
 東京での新たな陽性判明が463名にのぼったとか、岐阜県知事が第2波の非常事態を宣言したなどのニュースが聞こえてくる緊張の中で、今日の本校は夏休み前のしめくくりの日を迎えました。

 この日を大きな喜びとともに迎えられたのは、信濃毎日新聞の「ヤンジャ」(活躍する若者を一面に大きくとりあげる紙面)に、「蘇南高生 休校中 自ら学び深める」という見出しで、臨時休校中に自主的な学びを展開してブリコラージュ賞に応募した5人の生徒のことが詳しく報道されたからです。
 プロの新聞記者さんとは、かくも生徒の思いをうまく引き出すのかと、敬服することしきりでした。私の知らなかったこともたくさん書いてくれていますし、何より生徒がたくさんの苦労や悲しみをのりこえて必死に頑張ったのだという、彼らの「背中」が見えてくる。
 南木曽町の教育長さんが電話をくださり、「こういう時代に高校生から『希望』を見たように思う」とおっしゃっていただけました。
 どんな逆境でも「今できることをやる」「どんなときでも気づきと笑いと感動がある」…そんなことを生徒から教えてもらった日々でした。
 著作権がありますから、写真は見出しのところだけにとどめます。是非、信毎紙面でお読みいただければ幸いです。

 夕方の全校集会は放送で校長講話をおこないました。
 「前進することと後ずさりすること」というタイトルです。
 日本の長い歴史の中で、「サキ」という言葉が未来を指すようになったのは、およそ戦国時代以降のことで、それより前、つまり室町時代とか鎌倉時代、平安時代には、「サキ」という言葉は過去を指すものでした。サキとは目線の先ですから、昔の日本人は、過去を見つめながら、何だかどうなるのかわからない未来に、後ずさりしながら進んでいたというのが、生きるということのイメージだったのです。(勝俣鎭夫さんの研究)未来のことは、神や仏でもない人間にはわかるわけがないと思われていたのです。
 それに対して、織田信長とか豊臣秀吉、徳川家康の時代になると、自分の力で未来をこのような新しいものにすると、しっかり未来を見つめて、未来に向かって歩むようになった。「先」という言葉は未来を指すようになった。その生き方を受け継いで、本校の開拓者精神があるのです。

 とはいえ、「本当の開拓者」になるためには、「未来」とともに「過去」も読んで、今を生きることが大切なのではないかと生徒に語りかけました。
 20世紀の前半に世界恐慌が起こり、自分たちだけは助かりたいという国があらわれ、他国に領土を広げたり、諸悪の根源だとレッテルばりした人々を迫害して、やがて第二次世界大戦という破局に突き進んでいきました。苦しい時ほど、地域や国をこえて人々が協力し合って、苦難を乗り越えていかなければならないというのが、歴史の教訓です。
 過去に部活動や学習に打ち込めなかった自分を振り返り、同じことを繰り返さないように工夫する。誰かを愛そうとしてうまくいかなかった自分をきちんと分析して、自分の軌道修正をする。こうしたことって、とても大切だと思うのです。
 未来を目線のサキにおいて、未来に向かって歩んでいくのだけれど、折々に過去を振り返って自分の立っている位置を修正する。そして再び未来に歩き始めるのです。目線のサキは、「未来と過去の両方」です。そんな生き方をしていけるといいですよね。
 これが夏休み前の校長講話の結論でした。