「あらためて『私はここにいるよ』」
Posted by 蘇南高等学校長.
2020年04月17日10:00
国の全国を対象とした「緊急事態宣言」発令を受けての蘇南高校の対応は、ホームページに校長からのお知らせとして掲載しました。このブログでは、私たちの「生きる姿勢」について書きます。
Zoomを導入するはずだったホームルームは、ゴールデンウィークまではオクレンジャーでの双方向のやりとりにします。学習課題には、今の時代における各自の生き方を考えてもらうような課題を出すことにしました。
相談体制は、さらに充実をはかるために、「気軽な電話窓口」にカウンセラーへの相談日を設けました。困ったら、不安になったら、いつでも本校に電話をかけてくださいね。
ホームページの「校長あいさつ」に、私の好きな言葉を紹介しています。
「私はここにいるよ」という言葉です。
これは、第二次世界大戦中のナチスドイツのユダヤ人大虐殺のさなかに、アウシュヴィッツ絶滅収容所から奇跡的にいきのびたフランクルという精神医学者が、その体験記『夜と霧』のなかで紹介している言葉です。重い病で死を前にした孤独な女性が、フランクルに次のように話しかけたと言うのです。病室の窓から見える木が、自分に声をかけてくれる。「私はここにいるよ。私は“いのち”だよ。」と。
ホームページの「あいさつ」に書いていないことを少し言うと、「私はここにいるよ」をドイツ語で言うと「イッヒ・ビン・ダア」です。「私は“いのち”だよ」のドイツ語が「イッヒ・ビン・ダ(ア)ス・レーベン」。つまり「私はここにいるよ。私は“いのち”だよ。」をドイツ語で一気に言うと、「イッヒ・ビン・ダア」が2回繰り返され、そのすぐあとに「ダ(ア)ス・レーベン」=「いのち」という言葉が、まるで花が咲くように響くのです。
私たち教職員は、蘇南高校の生徒ひとりひとりの「私はここにいるよ」の声を聞くように、みんなを大切にしたいです。なぜならば、どんな人でも(その人が自分自身のことを嫌いであったとしても)、ひとりひとりには、“咲く花”のように必ず素敵な魅力があるからです。
実は、緊急事態宣言が出されるなどとは想像していなかった、昨日の朝、蘇南高校に出勤すると、満開の桜が散り始めていて、高校につづく坂道にも花びらが絨毯のように散らばっていました。まだ木に咲いている花も、地面にしきつめられた花びらも、すべてが「私はここにいるよ」と言っているようでした。
日本全国に緊急事態宣言が出されたとしても、ひとりひとりの「私はここにいるよ」の魅力は、今までと変わりません。
「私はここにいるよ。私は“いのち”だよ。」…この声を大切にすることが、いつも私たちの原点です。
Zoomを導入するはずだったホームルームは、ゴールデンウィークまではオクレンジャーでの双方向のやりとりにします。学習課題には、今の時代における各自の生き方を考えてもらうような課題を出すことにしました。
相談体制は、さらに充実をはかるために、「気軽な電話窓口」にカウンセラーへの相談日を設けました。困ったら、不安になったら、いつでも本校に電話をかけてくださいね。
ホームページの「校長あいさつ」に、私の好きな言葉を紹介しています。
「私はここにいるよ」という言葉です。
これは、第二次世界大戦中のナチスドイツのユダヤ人大虐殺のさなかに、アウシュヴィッツ絶滅収容所から奇跡的にいきのびたフランクルという精神医学者が、その体験記『夜と霧』のなかで紹介している言葉です。重い病で死を前にした孤独な女性が、フランクルに次のように話しかけたと言うのです。病室の窓から見える木が、自分に声をかけてくれる。「私はここにいるよ。私は“いのち”だよ。」と。
ホームページの「あいさつ」に書いていないことを少し言うと、「私はここにいるよ」をドイツ語で言うと「イッヒ・ビン・ダア」です。「私は“いのち”だよ」のドイツ語が「イッヒ・ビン・ダ(ア)ス・レーベン」。つまり「私はここにいるよ。私は“いのち”だよ。」をドイツ語で一気に言うと、「イッヒ・ビン・ダア」が2回繰り返され、そのすぐあとに「ダ(ア)ス・レーベン」=「いのち」という言葉が、まるで花が咲くように響くのです。
私たち教職員は、蘇南高校の生徒ひとりひとりの「私はここにいるよ」の声を聞くように、みんなを大切にしたいです。なぜならば、どんな人でも(その人が自分自身のことを嫌いであったとしても)、ひとりひとりには、“咲く花”のように必ず素敵な魅力があるからです。
実は、緊急事態宣言が出されるなどとは想像していなかった、昨日の朝、蘇南高校に出勤すると、満開の桜が散り始めていて、高校につづく坂道にも花びらが絨毯のように散らばっていました。まだ木に咲いている花も、地面にしきつめられた花びらも、すべてが「私はここにいるよ」と言っているようでした。
日本全国に緊急事態宣言が出されたとしても、ひとりひとりの「私はここにいるよ」の魅力は、今までと変わりません。
「私はここにいるよ。私は“いのち”だよ。」…この声を大切にすることが、いつも私たちの原点です。

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