「笑うということ」
Posted by 蘇南高等学校長.
2020年04月19日13:05
蘇南高校で、私たち教職員がいつも心がけていることがあります。その1、困難な壁を目の前にして、それをどう乗り越えるのかを議論するときに、これができない、あれができないと否定するのではなく、自分だったらこの方法があると提言するように発言していくこと。その2、同じく困難な壁に立ち向かうときに、互いの関係がギスギスしがちになるので、一呼吸おいてお互いに向かい合おうということ。
その2が特に大切です。「笑い」が消えないような人間関係にすることが目標です。だからこそ、4月14日のブログで報告した、バドミントン部の生徒たちが作った動画は、教職員の「いのち」に大きな力を与えてくれたのだと思っています。
「笑い」とは人間特有の感情だと言う人もいますが、昔、愛犬を飼っていた経験から言うと、動物も笑うという意見のほうに私は共感してしまいます。
最近、友人から教えてもらった、動物たちの「スマイル」を映し出したスライド動画が、あまりに秀逸なので、日曜日のティータイムに紹介します。「一般社団法人 動物共生・福祉協会Paw in Hand」さんのホームページです。
https://pawinhand.or.jp/2020/04/11/smile/
理屈抜きにこちらも笑ってしまいます。動物たちには勝てません。私のベストは、最後に登場する“水を飲む柴犬”です。
同時に、ただのネットサーフィンに終わらないように、動物共生・福祉協会Paw in Handさんの他のページをしっかり見て、動物の「いのち」を守るために奮闘していらっしゃる、このような方々がいるのだということを知ることにつなげていけば、昨日書いた、「心の中の旅」になりますよね。
「笑う」ということに戻ります。私が高校時代から読み続けてきたのは、茨木のり子さん(1926~2006)の詩集です。「わたしが一番きれいだったとき」「自分の感受性くらい」といった詩が、今でも高校の国語の教科書で読むことができます。私は彼女の詩を読みながら、凛(りん)として生きる姿勢にあこがれてきました。
そんな茨木のり子さんの晩年の詩集『倚(よ)りかからず』に「笑う能力」という詩が収められています。その一部を引用します。(『茨木のり子集 言の葉3』筑摩書房、2002年)
(……)
若い娘がだるそうに喋っていた
わたしねえ ポエムをひとつ作って
彼に贈ったの 虫っていう題
「あたし 蚤(のみ)かダニになりたいの
そうすれば二十四時間あなたにくっついていられる」
はちゃめちゃな幅の広さよ ポエムとは
(……)
深夜 ひとり声をたてて笑えば
われながら鬼気迫るものあり
ひやりともするのだが そんな時
もう一人の私が耳もとで囁く
「よろしい
お前にはまだ笑う能力が残っている」
(……)
この詩集を最初に読んだとき、私はこの詩の意味がまったくわからなかったです。茨木さんもお歳を召されて、丸くなったなあくらいの感想。
でも、今は「鬼気迫る」くらいこの詩のもつ力がわかってきました。私たちは、笑うことで、一息つき、生きることを肯定していくのです。「笑う能力」が残っているのならば、私たちは闘い続けることができるのです。
その2が特に大切です。「笑い」が消えないような人間関係にすることが目標です。だからこそ、4月14日のブログで報告した、バドミントン部の生徒たちが作った動画は、教職員の「いのち」に大きな力を与えてくれたのだと思っています。
「笑い」とは人間特有の感情だと言う人もいますが、昔、愛犬を飼っていた経験から言うと、動物も笑うという意見のほうに私は共感してしまいます。
最近、友人から教えてもらった、動物たちの「スマイル」を映し出したスライド動画が、あまりに秀逸なので、日曜日のティータイムに紹介します。「一般社団法人 動物共生・福祉協会Paw in Hand」さんのホームページです。
https://pawinhand.or.jp/2020/04/11/smile/
理屈抜きにこちらも笑ってしまいます。動物たちには勝てません。私のベストは、最後に登場する“水を飲む柴犬”です。
同時に、ただのネットサーフィンに終わらないように、動物共生・福祉協会Paw in Handさんの他のページをしっかり見て、動物の「いのち」を守るために奮闘していらっしゃる、このような方々がいるのだということを知ることにつなげていけば、昨日書いた、「心の中の旅」になりますよね。
「笑う」ということに戻ります。私が高校時代から読み続けてきたのは、茨木のり子さん(1926~2006)の詩集です。「わたしが一番きれいだったとき」「自分の感受性くらい」といった詩が、今でも高校の国語の教科書で読むことができます。私は彼女の詩を読みながら、凛(りん)として生きる姿勢にあこがれてきました。
そんな茨木のり子さんの晩年の詩集『倚(よ)りかからず』に「笑う能力」という詩が収められています。その一部を引用します。(『茨木のり子集 言の葉3』筑摩書房、2002年)
(……)
若い娘がだるそうに喋っていた
わたしねえ ポエムをひとつ作って
彼に贈ったの 虫っていう題
「あたし 蚤(のみ)かダニになりたいの
そうすれば二十四時間あなたにくっついていられる」
はちゃめちゃな幅の広さよ ポエムとは
(……)
深夜 ひとり声をたてて笑えば
われながら鬼気迫るものあり
ひやりともするのだが そんな時
もう一人の私が耳もとで囁く
「よろしい
お前にはまだ笑う能力が残っている」
(……)
この詩集を最初に読んだとき、私はこの詩の意味がまったくわからなかったです。茨木さんもお歳を召されて、丸くなったなあくらいの感想。
でも、今は「鬼気迫る」くらいこの詩のもつ力がわかってきました。私たちは、笑うことで、一息つき、生きることを肯定していくのです。「笑う能力」が残っているのならば、私たちは闘い続けることができるのです。

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