「満洲移民の体験者と授業の計画をつくる」
Posted by 蘇南高等学校長.
2020年09月04日17:56
南木曽町(当時は読書村・吾妻村)には、アジア・太平洋戦争の時代に、多くの満洲移民を中国大陸に送り出した歴史があります。863名の開拓移民のなんと6割以上が日本に戻れずに中国大陸で死亡しました。
大陸から引き揚げてきた当事者で、現在も生存されている方は、本当に少なくなってきています。
そのような当事者のひとり、南木曽町の可児さんは、今年88歳。ひのき箸などを製造する可児工芸の会長をつとめるかたわら、下伊那郡阿智村にある満蒙開拓平和記念館の語り部の活動を続けておられます。
「いつか一緒に授業をやりたいですね」と可児さんと対話をしてきたのですが、今月の17日(木)の人権講演会で全校生徒に対して、可児さん&私のタッグを組み、歴史を振り返りながら、コロナ時代の今をどう生きるべきかについて考える授業をしたいと思っています。
今日は、可児さんに校長室に来ていただき、1時間以上かけて打ち合わせをしました。(写真の時だけマスクを外しました。)
敗戦時の満洲で、この世の地獄を見た可児さんは、同時に多くの人のやさしさに出会いました。可児さんの人生が見てきた「この世界」に対する思いについて、私がしっかりバトンを受け取り、一緒に授業をしようと思っています。おそらく、新しい平和人権教育のスタイルの創造になるのではないかと思っています。
可児さん、一緒に頑張りましょうね。
大陸から引き揚げてきた当事者で、現在も生存されている方は、本当に少なくなってきています。
そのような当事者のひとり、南木曽町の可児さんは、今年88歳。ひのき箸などを製造する可児工芸の会長をつとめるかたわら、下伊那郡阿智村にある満蒙開拓平和記念館の語り部の活動を続けておられます。
「いつか一緒に授業をやりたいですね」と可児さんと対話をしてきたのですが、今月の17日(木)の人権講演会で全校生徒に対して、可児さん&私のタッグを組み、歴史を振り返りながら、コロナ時代の今をどう生きるべきかについて考える授業をしたいと思っています。
今日は、可児さんに校長室に来ていただき、1時間以上かけて打ち合わせをしました。(写真の時だけマスクを外しました。)
敗戦時の満洲で、この世の地獄を見た可児さんは、同時に多くの人のやさしさに出会いました。可児さんの人生が見てきた「この世界」に対する思いについて、私がしっかりバトンを受け取り、一緒に授業をしようと思っています。おそらく、新しい平和人権教育のスタイルの創造になるのではないかと思っています。
可児さん、一緒に頑張りましょうね。

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