「南木曽岳の主と出会う」
Posted by 蘇南高等学校長.
2021年09月20日20:53
齢八十をこえる父と一緒に南木曽岳(1679m)に登りました。
毎朝、南木曽岳を見上げるところから私の一日は始まります。日本三百名山に数えられる南木曽岳は、北海道をはじめ日本全国から登山者を集めています。そのほとんどは、蘭(あららぎ)コースという、急峻な南側の尾根につけられた50以上のクサリ場・はしごを登るコースをとります。
今日、私たちが登ったのは、上の原コースという、三留野(みどの)の町の郊外から正面の尾根にとりついて、北尾根から南木曽岳山頂を目指し、蘭コースに下山する「南木曽岳走破プラン」でした。
いつも眺めている真正面の壁を登るわけですから、こちらもそれなりに急登です。途中の鉄塔からは、蘇南高校とわが住宅が見下ろせて、まず感激。
そして今回の一番の目的であった、北尾根にたたずむミズナラの巨木に出会いました。登山客もほとんどいない天空の尾根に広く枝を伸ばしたミズナラの迫力は圧倒的で、まさに南木曽岳の主を見る思いでした。
登山は、その後、1時間半あまり背丈をこえる笹薮地獄に突入し、もがきもがき、出発から4時間をかけて1200mあまりの高度差を登り、何とか山頂に至りました。
南木曽岳の山頂は、二つのピークと、その間の広い笹原から構成される天上の楽園です。ガスがかかってきてしまい、眺望はあまりききませんが、それでも展望台の巨岩の足元には三留野の町並みが点描のように広がります。
そして蘭コースの直滑降のような下山コースをたどって下界におりてきました。
もう少し若かったら、教員を辞めて地域おこし協力隊員として南木曽町を志願し、みんなに愛されて安全な上の原コースの整備をしていたかも…と思う一方で、あの「南木曽岳の主」は、困難なコースの途中に静かに佇んでいたほうがいいのかもしれないと思うのでした。
毎朝、南木曽岳を見上げるところから私の一日は始まります。日本三百名山に数えられる南木曽岳は、北海道をはじめ日本全国から登山者を集めています。そのほとんどは、蘭(あららぎ)コースという、急峻な南側の尾根につけられた50以上のクサリ場・はしごを登るコースをとります。
今日、私たちが登ったのは、上の原コースという、三留野(みどの)の町の郊外から正面の尾根にとりついて、北尾根から南木曽岳山頂を目指し、蘭コースに下山する「南木曽岳走破プラン」でした。
いつも眺めている真正面の壁を登るわけですから、こちらもそれなりに急登です。途中の鉄塔からは、蘇南高校とわが住宅が見下ろせて、まず感激。
そして今回の一番の目的であった、北尾根にたたずむミズナラの巨木に出会いました。登山客もほとんどいない天空の尾根に広く枝を伸ばしたミズナラの迫力は圧倒的で、まさに南木曽岳の主を見る思いでした。
登山は、その後、1時間半あまり背丈をこえる笹薮地獄に突入し、もがきもがき、出発から4時間をかけて1200mあまりの高度差を登り、何とか山頂に至りました。
南木曽岳の山頂は、二つのピークと、その間の広い笹原から構成される天上の楽園です。ガスがかかってきてしまい、眺望はあまりききませんが、それでも展望台の巨岩の足元には三留野の町並みが点描のように広がります。
そして蘭コースの直滑降のような下山コースをたどって下界におりてきました。
もう少し若かったら、教員を辞めて地域おこし協力隊員として南木曽町を志願し、みんなに愛されて安全な上の原コースの整備をしていたかも…と思う一方で、あの「南木曽岳の主」は、困難なコースの途中に静かに佇んでいたほうがいいのかもしれないと思うのでした。
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